映画「はじまりの旅へ」を観た感想。

映画「はじまりの旅へ」を見た感想。
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ないようで実際に存在していそうな映画。なかなか楽しめたなぁ。

英語版のタイトルだと“Captain Fantastic”で、まぁ感動的というかちょっぴり幻想的なリーダーという表現になろうかと思うのだけれど、まさしくこのタイトルがぴったりの映画だった。

しかしなぜか日本語版だと「はじまりの旅へ」というかわいい表現になってしまっているのだ(;’∀’)w。日本語版でも「ファンタスティック・キャプテン。」という、ちょっぴりファイシーナタイトルに、ちょっぴりしまった筆記体で表現すればよかったのではないかと思ってしまう。

「はじまりの旅へ」という表現も素晴らしいとは思ったけれど、この映画に含まれているシリアスさを表現するにはタイトルとポスターのデザインがなんだかミスマッチな気がした。ポスター下に書かれているリード文も、映画を観たあとに読むとあまりピンとくるものではなかったな。

 

それと字幕映画とTEDを300本近く見てきたからなのか、なんだか日本語字幕に違和感を感じることも多くなってきてしまった。TEDであれば現実世界についての話を日本語として読んでいるから、僕のような専門用語が分からない人にとってはものすごく助かるのだけれど、映画のようにファンタジーの世界で感情を読み解くものに関してはシンプルな英語表現が使われることがおおいから、そのままで聞いた方が心地がいいことがある。

耳で聞く音と目に入る文字の“食い違い”のような現象がここ最近、僕の中に起こっているのも実感できた。

もしかしたら、本格的に英語を自分で読み解くべき時期が来たのかもしれない。まだ気持ちが追いつかないが、この違和感が続くようなら英語との向き合い方を変えなくてはいけないかもしれないな。

どちらにしても、本質の含まれた素晴らしい映画であった。吹き替え版があったらそっちでみても十分に楽しめそうだ。

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映画「はじまりの旅へ」のあらすじ。

近代化してしまった現代社会から遠く離れたアメリカの山奥で、ファンタスティックな父親とその6人の子供たちが亡くなった母親を巡って奮闘する物語。

こうしたよく分からないコンセプトの映画を見るとき、僕は大抵あまり期待をしないで見るのだけれど、1時間もするとその映画が伝えたいメッセージがよく分かってくるのだ。この映画もそんな類の映画だったな。

映画館ではお金を払ってまで見ようとは思わないタイプの映画だけれど、Amazonプライム・ビデオで“見放題”になっていたらついつい見たくなってしまう映画だ。で、実際に見てみるとそこそこ、というかかなり面白いのだ。

本当に、こうしたコンテンツにほぼ無料という形で出会える今の時代に生まれたことを本当に嬉しく思う。普段に生活していたら知ることのできない価値観に触れられるというのは、本当に素晴らしいことだ。

映画「はじまりの旅へ」を見た感想。

1.豊富な知識と、貧弱な社会性。

山奥で暮らすこのファミリーは超原始生活を送りながらも、本から得る情報によってそこら辺の学生とはまったく比べ物にならないほど豊富な知識を蓄えていた。長男は高校を卒業していないながら、マサチューセッツやMIT、ハーバード大学に合格するほどの実力だ。

しかし彼らには絶対的に掛けているものがあった。人里離れた山奥で10年間も暮らしていることを想像すればそれがなにであるかは想像に容易い。それが資本主義の国アメリカであればなおさらのことだ。そう、それは社会性だった。

僕もある意味では彼らに共感する部分があった。学校の勉強をまったくといっていいほどしてこなかった僕だが、インターネットであらゆる情報を目にしていたから知識の豊富さには自身があったのだ。だが専門学生になって“大人社会”なるものへ飛び出そうかというとき、そうした知識だけでは通用しないことを実感した。おそらく勉強がめっちゃ得意な人でも、僕と同じような経験をしているのではないだろうか。教わったこと、身に付けた知識とのギャップに悩むのきっと普通のことだ。

僕はどちらが正しいとは思はない。知識ばかり身に付けた頭でっかちな人間は、この映画の家族たちのように社会性を失ってしまう。それでは他者との人間らしい関係性は築けない。

一方で、知識がなくても社会性は身に付けられるかもしれないが、この家族の母親のお父さんがそうであったように自分の視点や利益でしかものごとを考えることができなくなってしまう。女の子たちの「こんなの、富のひけらかしよ。(This house is a vulgar display of wealth.)」「土地の使い方が非論理的よ。(And an unethical use of space.)」という指摘はとても的を得ているだろう。

豊富に知識を身に着けながら、しっかり社会性も身に着けること。もしかしたら、これは今の僕にとっても必要なことだ。

いや、これからもずっと、一生かけて学んでいくべきものとも言えるかもしれない。

2.優しい嘘か、厳しい真実か。

子供がいたら守り、助け、彼らの好奇心を抑制することのないよう大人は心掛けるべきだが、しかしそれが現実的な—いや、グラフィカルなものという表現が適切だろうか—ものごとであった場合、大人はどのように対応するべきであろうか。

この父親はたとえ子供に性的なものであっても、隠すことなくすべてありのままに話していた。正直なところ、僕はこれが正しい大人の在り方だとはまったく思えなかった。それは子供たちの表情を見れば明らかだ。

一方で、親戚の家族のように優しい嘘で真実を誤魔化すというのはどうだろうか。おそらく多くの親がこの家庭のように、子供たちにはできるだけ優しい嘘で現実と向き合わせることを選んでいることだろう。

しかし、僕にとってはこれも正しいとは思えなかった。おそらく、これはどちらが正しくてどちらが間違っているという問題ではない。

僕であれば、子供たちにネガティブな感情を抱かせない方を選ぶ。それがどちらであるかは、状況によって変わるだろう。優しい嘘をつくべきときもあれば、現実をありのままに話すことが必要なこともある。

だから大切なのはどちらを選ぶかではなく、僕の内面状態の方なのだ。この父親のように、自分の教育方法が正しいと自信満々になればきっと間違いを犯す。逆に親戚の親のように、自信なさげに話していては子供たちと真剣に向き合えない。

この映画の中で両方の親に欠点があるとすれば、それはどちらも相手の価値観を受け入れようとはしなかったことだろうか。

僕は受け入れるとは「はい」と頷くことではないと思っている。ただ、なにもしなければいい。そうすれば、お互いが自ら学び合い、ものごとはきっとより円滑に進んでいたはずだ。

3.宗教という固定概念。

それと最後は宗教について触れておこうかな。

母親は仏教徒だから火葬を望んでいるとか、いや私たちはキリスト教徒だから埋葬を望んでいるとか、そういう“固定概念”はあらゆる争いのものであるということをこの映画はよく教えてくれたのではないだろうか。宗教はその最たる例だが、その他にも“自分が正しい”とか“相手が間違っている”という思い込みはあらゆるところで見受けられる。あと、僕は仏教徒であると火葬になるだなんて知らなかった(笑)。

ちなみに、僕は死んだら遺体を土に埋めることでその熱をエネルギーとして再利用できる方法を選ぶつもりだ。詳しくはこの記事に書いてあるからぜひ見て欲しい。

「私が死んだら土に還してください」を観た感想。【TED】

僕には「かならずこうあるべきだ!」という固定概念はない。だけれども、いつも「全体にとって最適であるかどうか?」という問いに関しては、ものすごくこだわりを持っている。

僕は自分が火葬されようと埋葬されようと気にしない。だけれども“埋葬することで熱を発生させてそのエネルギーを有効活用したら自然に優しい方法で遺体を処理できる”という全体にとって、つまり地球や宇宙にとって最適な方法があるのなら、それを喜んで選びたいんだ。

固定概念とはなにか。それは自己利益を他人に強要するための“思考の塊”に過ぎない。

僕は自分が正しいかなんて気にしない。もちろん、すべての行動が正しくあるよう心掛けているが、そこに執われたりはしない。全体にとって最適な方法がほかにあるのなら、自分の間違いを認めてよろこんでそれを選ぶだろう。

みんなが固定概念をもたなくなったら、きっとこの世界の争いごとはほとんどなくなるのではないだろうか、なんてことも考えさせられた。

まとめ。

気がついたらここまで3500文字ほど書いていて自分でも驚いた。映画を見終えたときはここまで深く考えてなかったが、文章としてアウトプットしてみるとこれだけ自分が様々なことを感じていたんだなと気付いて驚いている。もっと深掘りしていけばまだまだ言葉にできることがたくさん見つかるだろうけど、肝心なポイントは言葉にできたと思うから先に進もうと思う。

僕は映画などの人間が創作した作品を見てそこから色々と感じるのが本当に大好きみたいだ。特に内容のないYouTuberのふざけた動画ですら、見ればそれなりに感じることが色々とあるものだ。

だからこの家族のように、自分が正しいことをしていると思っているときは気を付けないといけない。

そしてこの家族の親戚のように、相手が間違っていることをしていると思っているときも気を付けないといけない。

なにごとも良い悪いではないし、人間関係を円滑に進めるだけでなくこの世界に秩序を保つには、もっともっと深い視点が必要なのだ。

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