「ものごとの『良し悪し』は思い込みに過ぎない」を観た感想。【TED】

「ものごとの『良し悪し』は思い込みに過ぎない」を見た感想。【TED】



古代中国の寓話(ぐうわ)に「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。

僕の大好きな言葉で以前紹介したのですが、その意味はものごとを良いとか悪いとかで判断する代わりに、一段高い視点に立って人生と調和しなさいという、先人からの優れた知恵のことです。

僕の大好きな言葉「人間万事塞翁が馬」の意味。いいも悪いも自分次第。

 

しかしながら現代社会を生きる僕たちは、いわゆる「悪い」と呼ばれる事が起きるとすぐに騒ぎ立て、「良い」ことが起きるとすぐに付け上がりがちで、ものごとの本質を見極める力を失ってきています。

この世界で何が起こるかなんて誰にも分からないのに、起きたこと、起きなかっとことで一喜一憂しているようでは本当に大切なことを見落としてしまうでしょう。

そうならないためにも、彼女のような経験に耳を傾けることは人生を豊かにするために欠かないと僕は思っているので、しっかりと耳を傾けたいと思います。

ものごとにラベルを貼る人間の浅はかさ。

この言葉は決して楽しい時間を楽しむなと言っているわけでも、悲しい出来事に悲しむなと言っているわけのではなく、「もっと高い視点を持って人生に取り組みなさい」という生きていくための知恵が込められています。

しかし現代を生きる僕たちは、ネットニュースやメディアを通じで“ラベル貼り”がされた情報を受け取っています。もちろんそれ自体が悪いのではなくて、ものごとをラベルが貼られた状態でしか見れない人間の知性というのは、とても危険をはらんでいるのです。

「ものごとの『良し悪し』は思い込みに過ぎない」を見た感想【TED】

彼女はこの言葉を知っていたものの、自分の子供が障害のある状態で生まれたときになって本当の意味で理解できたようです。赤ちゃんのために運動したり、オーガニック食品を食べたりと様々な取り組みをしてきたようですが、彼女が想い抱いていたような“スーパーベイビー”を産むことはできず、生後約2000gしかない障害を抱えた子供を持つことになりました。

僕は男性なので子供を宿す母親の気持ちを詳細に知ることはできませんが、このような状態で「それは悪いことではないかもしれない」なんて、慰めにもならなことは想像に容易いです。

彼女自身もそうだったようで、このときばかりはこの言葉をすっかりと忘れていたそうでした。

障害者だから特別なのではない。

現代社会でもっともラベルを貼られているのが、「障害を持っている人 = 悪いことである」という認識です。「悪い」というよりも、「可哀想」だとか「哀れむ」ようなラベル貼りをされることは多々あります。

こちらも以前書きましたが、芸人の『あそどっく』さんは障害を笑いに変えることによって僕たち凡人の偏見を払拭する活動をしていますが、僕たち凡人は、障害者のことを特別だと思ってはいないでしょうか?

障害を笑いに。お笑い芸人「あそどっぐ」が自分の障害を笑いに変える理由

例えば電車で高齢者の方や杖をついた人が乗り込んできたら席を譲るなんてのは、日本人なら当たり前のようにできますよね。

しかし、そこに“高齢者だから”とか“障害を抱えている人だから”という理由で行なっているのは、彼らを自分と対等に見ていないことであって、それは相手に対して失礼にあたります。

 

僕の友人は病院で介護職をしていますが、彼は「俺はお年寄りを助けているんじゃなくて、手助けしているに過ぎない。」と語っていましたが、まさにその通りで、いわゆる障害者と呼ばれる人を特別扱いせずに行動する姿勢があってこそ、本当に彼らを助けることができるのですよね。

彼女も子供をカウンセラーに預けた際に一部の人は子供の障害を“特別扱い”していたそうですが、そうではないカウンセラーとの出会いによってすくすくと成長していったそうです。

「ものごとの『良し悪し』は思い込みに過ぎない」を見た感想【TED】

「相手のためにしてあげなくちゃ!」という姿勢は一見するととても魅力的に見えます。

しかし、そこに相手との優劣関係が伴っているようでは彼らを助けているように見えても、それはただ彼らの特徴を消している自己満足に過ぎない場合だってあるということを、僕たち健常者はよく覚えておくべきでしょう。

あらゆるものごとを平等に見れるか?

彼女の話の重要なポイントは、「あらゆるものごとを平等に見れるか?」というこの一点に尽きると思います。彼女はその経験を自身の子供から学びましたが、その教訓は人それぞれ違うことでしょう。

僕も小さい頃、特に中高校生のときは「お金を稼いで有名になって社会に貢献しなくちゃダメなんだ!」みたいな固定概念が強かったですが、そうするとその定義に当てはまっていない人がなんだか悪人のように見えてきてしまうことがありました。

そうやって平等に人を見ることができないと結局は自分を苦しめ、そしてその苦しみがこうしたヒラメキを生むので結果オーライなのですが。

 

たとえ人とは違う部分があっても、それが誰かより特別なのではなく、ただそうであるという現実がそこにあるだけです。

「ものごとの『良し悪し』は思い込みに過ぎない」を見た感想【TED】

僕もこうしてブログを書きながら頭で理解するのは簡単なんですが、目の前で起こったものごとを判断しないということの難しさは痛感しています。ほんと簡単じゃないですよね。

例えばモノに置き換えると、1000万円のポルシェと200万円のアクア(トヨタ車)。どちらもただの車なんですが、無意識になると1000万円のポルシェの方がなんだか優れているように感じてしまいます。本当は圧倒的にアクアの方がコストパフォーマンスが高いんですけどね…(笑)。

 

でも大丈夫です。ものごとを平等に見るとことができないとき、それは苦しみとなって僕たちに教えてくれるよう、この世界はプログラムされているのです。大袈裟かもしれませんが、自分自身や誰かを苦しめているときってのはだいたいこのパターンなのです。

もちろん障害者は身体的なレベルでは僕たち健常者より劣っている部分があるでしょう。しかし、本質的にはなにも劣ってなどいないし僕たちが優れていることもありません。

表面的なレベルでしか人やものごとを判断できなくなってしまったときは、彼女の顔を思い出してみてください。

「ものごとの『良し悪し』は思い込みに過ぎない」を見た感想【TED】

あなたの中に共鳴するなにかが見つかりますでしょうか。

ものごとを良い悪いではなく、あるがままに見つめる力を、僕は育ててゆきます。