先生、後輩も子供も教えたら「勝手に育っていくもの」だと思います。

子供は教え育つもの
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僕がまだ学生時代にとあるプロジェクトのリーダーを務めていたときのこと。

僕は無事に2年生になり、その年から新しく1年生が入学してきました。

そして、何人かの生徒が僕のプロジェクトに入ってたんです。

だけど、1人だけなかなかプロジェクトに参加してくれない生徒がいました。

どうやらその生徒はプロジェクトに参加してないだけじゃなく、学校にも来てないみたいだったんです。

僕からはその子に「いつでも連絡してね〜」と一言告げておいたけど、執拗に声は掛けないことにしてました。

 

するとある日、先生に呼び出されてこう言われたんです。

先生
宮川、これになんて入ると思う?
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教◯◯育◯◯。

先生は黒板にスラスラと言葉を書き始めました。

子供は教え育つもの
先生
はい、なにが入るでしょう?
宮川 輝
これ、文字数は関係ないんですか?
先生
うん、なにが入ると思う?

正直、僕は迷ってました。

パッと言葉は浮かぶけど、何種類かあって、入る言葉は立場によって変わってくるなぁと思ったからです。

ぼくの答えは、教わるなら立場なら「教わり育つ」で、教える立場なら「教え育つ」です。

 

でも、こうして僕が呼ばれたのには理由があります。

そう、これは学校に来てない生徒に対して、僕がどういう対応をしているかを聞かれているんです。

なんて巧妙な聞き方なんだ...!!

僕は瞬時に察して、教える側の立場側の答えを言いました。

宮川 輝
「教え育つ」でしょうか?(ドヤッ
先生
ぶー、はずれ。

 

なに!!

絶対にこれであってると思ったのに!

ってことは、もう一つの「教わり育つ」だったのだろうか...。

そしたらこの質問をしてくる理由はなんだろう…?

 

僕の困惑した表情を見て、勝ち誇ったかのような表情をした後、先生から正解がきました。

先生
“教え育てる”だよ!

僕には自分が人を育てる立場だという認識がなかった。

まさか。

「教○○」の部分は変わっても「育○○」に入る言葉は僕の中で「育つ」一択でした。

まさか「育てる」なんて言葉が入るとは。

さらにさらに僕の困惑した僕の表情を見て、先生がまた一言。

先生
子供は教えるだけじゃ育っていかないよ。
同じように、後輩も育てていかないといけない。
無関心は一番いけないんだよ。

 

そうか、僕はもう自分が誰かを育てる立場に立っていたのか。

もう2年生だから1年生は後輩であり、先輩である僕は1年生を「育てる」必要があるのか。

なんだか「お前は人の上に立つ意識が低いのだ!」と先生に言われた気がして、僕は妙にしょんぼりしちゃってました。

 

だけど…ちょっとまった。

僕は自分が育った環境を振り返った。

その日の帰り道、先生から言われた言葉がずっと頭の中に残ってたので、友達に聞いてみることにしました。

宮川 輝
教え育てるかぁ。なるほどな。
友達にも聞いてみよう。

僕だけじゃなくて、他の人はこれを見てどう思うんだろう?と気になったんです。

すると、思いもよらない言葉が返ってきました。

宮川 輝
ねぇねぇ、これなんだけどさ。
「教◯◯育◯◯」
ここの間になんて文字が入ると思う?
友達
うーん分かんないけど、俺なら「教えてもらって育つ」かなぁ。
宮川 輝
違う違う、「教え育てる」んだってさ!
後輩は勝手に育っていかないって、先生言われたんだよね。
友達
ふーん、なるほどね。
でも俺は育てられた覚えがないからよくわかんないや。

ん…?

育てられた覚えが…ない?

そういえば、あれ。

僕は誰かに、育てられたっけか?

僕は誰かに育てられた覚えがなかった。

友達の言葉でふと、自分の過去を振り返ったんです。

そういえば、俺も誰かに育てられた覚えはないなぁと。

僕は親から、簡単に表すと「なんでもやらせてくれる、放任主義。」な教育を受けてました。

スポーツが好きだったけど、別に「スポーツを頑張りなさい!」と言われたことはないし、勉強が嫌いだったけど、別に「勉強しなさい!」とも言われたこともありません。

なんでもやらせてくれるけど、その代わり、なにをやれとも言われずに育ってきました。

でも、これってめちゃくちゃ厳しいですよね(笑)。

僕が大学か専門学校に悩んでるときにも、父親からこう言われたのを覚えてます。

宮川 輝の父
アキラの好きにしてええで。若い時の1年や2年そう変わらんからなぁ。
悩んで自分で考え^w^。

なんて楽観的なんだ!

“この父にして僕あり”って感じがして、ちょっと恥ずかしい。

そんな親の教育を振り返りつつ、改めて自分の過去を振り返ると、誰かに育てらてここまできたわけじゃないことに気づきます。

そう、育ったのは僕なんです。(エッヘン。

「育てる」と「育つ」の違い。

この2つの言葉には、能動態なのか受動態なのかという2つの違いがあります。

「育てる」は教える立場よりで、「育つ」は教えられる立場の言葉のようなイメージを持ちますよね。

でも、ぼくはどっちの立場だろうと絶対に「育つ」だと思うんですよ。

だって、人間は植物みたいに、水と太陽の光を浴びせれば勝手に育っていくわけじゃなくて、与えたものでその人が成長してくれるかはどうかは、与えた側(教える立場の人)にはコントロールできません。

 

食べ物を与えたって、食べないって選択もできるし、勉強する環境を与えたとしても、勉強ができるようになるわけじゃないんです。

だから、僕は教育者の立場になろうが「人は勝手に育ていくものだ」という考え方を、いまでも持ち続けています。

これを「人を育てる」にするとどうなるか。

もし食べ物を与えても、食べることを嫌がろうもんなら、口に無理やり詰め込み、勉強しないなら洗脳教育を施すことになります。(ちょっと大げさに言ったよ。

そんなことは絶対にしたくない!

誰かを「育てる」なんておこがましい。

これは言葉遊びみたいなもんなんですが、僕は人を育てるなんて「おこがましいなぁ」と思います。

たとえ僕がなにか後輩に教えたことで成長していったとしても、それは僕が「育てた」のではなく、後輩が「勝手に育っていった」だけなんです。

教育者の立場が「人を育てる」なんて考え方を持った時点で、自分で考える機会をその人から奪ってるような気がするんです。

だって後輩は僕が何もしなくたって育っていくんだから。

人間は他の動物と違って、自分で考えて選択することができます。

その権利を奪うような教育方法はしちゃいけない、というかするべきではないと思う。

教える側の立場にいるに人は、後輩や子供が「いい環境で育つための手助けをしてあげる」くらいじゃないと、自立した大人には育てられないと思います。

育つからって、放ったらかしはダメだよね。

でも先生にこの「言葉遊びクイズ」を出してもらったおかげで、僕は自分の立場でやるべきことを考え直させてもらうことができました。

特にこの言葉が印象に残っています。

先生
無関心は一番いけないんだよ。

確かに、いくら勝手に育つからといって、放ったらかしにしちゃダメだなと。

学校に来てないなら、僕からもっと声を掛けてあげるべきだったなと。

別に「学校こいよ!」「プロジェクトに参加しなさい!」みたいに強制する必要はかったんです。

ただ「ヘ〜イ、最近何やってんのYo!!」くらいに声を掛けてあげれたらよかったなと。

それが強制じゃなくて、自然にできるのが一番いいんだけどね。

当時のぼくにはまだ足りていなくて、これが教える立場にいる人間の、難しいところです。

 

僕は「教え育つ」姿勢で後輩にも、子供にも向き合いたい。

宮川 輝
僕は「教え育つ」だと思います。

もし、もう一度先生に同じことを聞かれたとしても、僕は同じように答えます。

もちろん言葉遊びなので正解はないんですが、後輩を自分が育てるものと見るか、それとも育っていくものと見るかで、向き合う姿勢は大きく変わってきます。

僕は後輩や子供が育っていくための環境づくりはするけれど、そこで育つかどうかは自分で決めさせますね。

たとえそれがうまくいかないとしても、自分の人生を自分自身で決める権利を、出来るだけ尊重させてあげたいです。

もしその環境で育つ意思があるなら、そのための手助けは全力でしますが、絶対に強制はしません。

だって、人間は勝手に育っていくんだからね。

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