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デジタルの世界で自身の外見を武器に活躍する芸能人・モデル・アイドルほど、この世で奇妙で—人間臭くて—エゴを強化しやすい仕事は他にないんじゃないだろうか。

最初は彼らに憧れる。僕も中学生の頃からイケメンでカッコイイ俳優とかモデルを見て「俺もあんな風になりたい!」と思ったことがある(笑)。それが思春期を迎える普通の子供の気持ちというものではないだろうか。

しかし、大人になるにつれて気が付くんだ。

「あれが彼らの本当の姿なのかな…いや、違うよな。」

彼らはただ、役割を演じているに過ぎない。

僕はこの事実を知って以来、芸能人やモデルやアイドルなど人々から注目される立場にいる人物をまったく違う目で見るようになった。外見や社会的立場に自分を同一化していて、本音を言えない人のなんと多いことか。僕はもう、あの時期に湧き上がってきた憧れの気持ちはいつのまにやら完全に消え去ってしまった。

だから、彼女のように自分をさらけ出して本音を語れるような人間は本当に貴重だ。

 

しかし、皮肉なことに現代の社会システムはこうなのだ。

つまり、自分をよく見せようと演じた方が人々から注目され、知名度が上がり、お金が稼げるといった仕組みだ。そしていったんハマると、なかなか抜け出せない。その仕組みが当たり前という錯覚に陥ると、自分の取り巻く環境の異常さを理解できない。

もちろん、個人的な責任は誰にもない。しかし、個人が気付かなければ責任がつきまとう。

彼女の話を聞いていたら、僕が20歳の頃に芸能関係者と話したときのことを思い出した。あの人を選別するかのような視線を、きっと彼女はモデル活動を通じて感じてきたのだろう。

自分を外見と同一化しすぎないよう気をつけたほうがいい。カタチあるものはいずれ終わりがくるのだから、同一化すればするほど後から味わう苦しみは大きくなるだろう。

カタチあるものは儚いと知れば、人はその美しさを尊重はしても、過大なまでの評価をしなくなるだろうか。

自分をよく見せるだけの滑稽な演出。

ほとんどの人が外見から自己意識を引き出していることは、テレビ番組や街中の広告やポスターを見れば、また自身の日常生活を振り返れば一目瞭然なのではないだろうか。自分に正直になれば、どれだけ自己イメージを強化するために見た目を気にしながら生活しているかよく分かるはずだ。

何を隠そう、僕も22歳まで自己意識を見た目から強化しようと必死だった。自分をカッコよく見せるために髪型を整えてみたり、洋服を着飾ってみたり。もちろん、なんにも悪いことではない。

しかし、自分をよく見せるだけの演出というのは非常に滑稽なものだ。それは本人が一番理解しているところだろう。

「ルックスだけが全てじゃない。モデルの私が言うんだから信じて」を観た感想。【TED】

彼女はモデルたちがどのように撮影されているのかを赤裸々に話してくれた。“友達がいることを想定して歩いたポーズ”を何百回も繰り返すだなんて、さぞかし大変だったに違いない(笑)。

彼女はまた「イメージは強烈だ。」と語っていたが、今の世界に存在している写真はどれも過剰なまでの加工と演出されたものが多く、とくに子供時代からそうした世界に馴染んできた世代にとっては、現実との区別をつけるのは最初は難しい。僕も20歳を超えた頃に、ようやく人間が作り上げた世界の異常さに気付き始めたくらいだ。

もちろん、演出そのものが悪いのではなく、問題なのはその演出に内容が—本質が—伴っていないことだ。

 

僕はあるとき気が付いた。自分をよく見せるというのはどういうことかと。それは僕より見た目が良くない人との差を見せつけるということだった。つまり、僕には自分をよく見せる理由が浅はかであったのだ。

もちろん、おしゃれをして自分を可愛く見せたりカッコよく見せることはまったくもって悪いことではない。しかし、僕には平等や公平という理想がある。だから、僕は自分をよく見せることを目的とした演出を恥じてなさないようになった。

外見をよく見せることは不安との裏返し。

僕も自分を振り返ると、外見をよく見せたり派手な演出をしている時というのは不安でたまらなかった。自分が社会的に価値のある人間になれるよう必死だった。だから、きっと自分の外見を武器にしているモデルたちというのは毎日をたまらなく不安な気持ちで過ごしているのだろう。彼らは外見をよく見せなければ、きっと自分が消えてしまうと思い込んでいるのだ。

「ルックスだけが全てじゃない。モデルの私が言うんだから信じて」を観た感想。【TED】

今でもFacebookやInstagramなどのSNSは自己意識を強化するために使われることがあるが、僕はそれ自体が悪いことだとは思わない。自分をよく見せることで人から賞賛されることはある意味で気持ちがいい。そして不安が解消されるのなら、それもまたいいだろう。

しかし、それだけでは十分ではないのだ。つまり、自分をよく見せて人々から注目を集めることは一時的な不安の解消にはなっても、永遠な満足はありえない。きっと自分をよく見せようと必死な人たちも心のどこかで気付いているのだ。自分という外見的なカタチの存在は儚く、いずれ終わりがくることに。

 

スピリチュアルの世界ではこれを“エゴ”と呼ぶ。エゴとは自己中心のことを指すのではなく、カタチとの同一化だ。おそらく、僕と同じ20代の若者はエゴが一番強化されやすい時期なのではないだろうか。身体的にも精神的にも、成熟期を迎えているからだ。

だからこそ、本当の自分とエゴとの区別を付けるべきだ。体は遅かれ早かれ衰えるのだから、カタチではないものを見つけなくてはいけない。これがないと、エゴという虚像を強化しようとして苦しく不安な日々を送るだけになるだろう。

これは「外見を大切にするべきではない!」という話ではない。

それどころか、もっと楽しむことができるようになる。

外見だけでは幸せになれない。

彼女は自分の体が人種的にも見た目も優れていることを話してくれたが、その上で「外見では幸せにはなれない。」というメッセージを僕たちに届けてくれた。彼女のように綺麗なモデルがそのような発言を公の場でしてくれることを、僕は本当に嬉しく思う。

現代社会では、外見的に優れた人たちが人々から注目されて知名度が高くお金を稼いでいるが、それだけでは幸せになれないのだということを教えてくれる人というのは非常に少ない。みな自分の立場を守ることで必死だからだ。

しかし、TEDを見ている僕らには現実と向き合う力がある。人間が作り上げた幻想と、本当の姿を見分けられるようになろう。

そして、見た目で人を判断するような人間になってはならないと強く感じた。人種が混じっているアメリカでは、おそらく日本以上にそうした差別が多いのだろう。しかし、彼女のように意識している人がいることもまた確かだ。

キラキラ輝いて見えるものを過大評価しないようにしたい。

そして僕は、できれば外見ではないもの—カタチではないもので世界を変えていきたい。