障害を笑いに。お笑い芸人「あそどっぐ」が自分の障害を笑いに変える理由

障害を笑いにするあそどっぐが自分の障害を笑いに変える理由について紹介します



宮川 輝の父
こんなニュースがあんねんけどな。

親父がおもむろに差し出してきた新聞には、脊髄性筋萎縮症で寝たきりになりらがら観客の笑いをとる、お笑い芸人「あそどっぐ」の話題でした。

「障害で笑いを取る人」ということは、僕たちは笑ったら「障害を笑う人」になってしまうということ。

宮川 輝
…いや、ダメでしょ。

ありえん。人の障害を笑うなんて、そんな奴は人間として終わっている。

だけどもし、障害を持つ人が自分の障害で人を笑わせたいと思っていたらどうだろう?

そんな人を笑わずにいられるだろうか。

 

生まれてすぐ脊髄性筋萎縮症を発症し、2011年に芸人となったあそどっぐさんが、自身の障害で笑いを取るのには理由がありました。

お笑い芸人「あそどっぐ」とは?

初めて聞きました。「あそどっぐ」なんて聞いたら忘れられない名前です。

どうやらYouTubeでネタを動画投稿してるみたいです。寝たきりのまま口だけで芸を披露してます。

こんな芸をされてる方です。

脊髄性筋萎縮症で、動かせるのは左手の親指と口、目、頬だけだそうです。

あそどっぐ(1978年12月29日)は、日本のお笑い芸人である。脊髄性筋萎縮症のため顔と左手親指を除いた部位が動かない状態である中、「お笑い芸人界で初の寝たきり障害者」を名乗り芸能活動を行っている。
あそどっぐ – wikipedia

自分の障害で笑わせる。

あそどっぐさんが本格的にお笑いを始めたのは2011年ごろ。舞台でも芸を披露してるそうです。

自ら「寝たきり芸人」と称するあそどっぐさん(36)。去年12月中旬、九州一円のお笑い芸人が集まる競技会に出演した。(中略)
「観客の皆さん、盛り上がりが足りませんね」と煽った上で、「舞台袖に戻って入場し直すので、『ワー』っと盛り上がって迎えてください。小さい頃に学校で教わったでしょ、『障害者には優しく』って」。
笑いが起きると、してやったりの表情を浮かべた。

2017年1月12日東京新聞 – いのちの響き

お笑いの舞台に障害を持った人が現れて「僕の障害を笑って!」と言われたら…笑える自信がないなぁ。

他の芸人の「ブス」とか「デブ」は笑えるのに、障害を持った人となると本当に笑っていいものかと絶対身構えてしまう。

お笑いにはある程度「悲しさ」みたいなものが必要で、「僕はこんなことができます!」「僕はこんなお金持ちです!」「めっちゃイケメンです!」なんて幸せな人が、誰かを笑わせるなんて絶対にできるわけがないんですよ。

たしか松本人志さんが仕事の流儀で「どっかに悲しさがないと面白くないねんな〜」と言ってたけど、あそどっくさんにとってその"悲しさ"は、きっと障害なのでしょう。

この日出演したのは十二組。約二十人の聴衆がパフォーマンスの良かった芸人に投票した結果、あそどっぐさんはしたから2番目だった。面白いかどうかという基準に、障害の有無は関係がないのだ。
「みんな、僕におまけしてくれないんですよね。」
笑いには、ちょっとした毒が欠かせない。あそどっぐさんの場合、その毒は自分の障害だ。(中略)
「生後半年のおいが寝返りを打った。叔父を超えたな。」
「満員電車に乗ると、立っているおじさんのお尻がちょうど顔のあたりにくる。たまに変な匂いがするんです。」

2017年1月12日東京新聞 – いのちの響き

「生後半年のおいが寝返りを打って俺を超えた」とか、笑いとしては最高に面白いじゃん、と僕は思う。

でもどこかに笑えない、笑っちゃいけないような自分がいるのはなぜかなぁと考えると、きっと笑いより悲しさの方が勝ってしまうからなんだよね。

それはあそどっくさんではなく、聞いてる僕が勝手にそういうイメージを持ってしまうんだと思う。

これは僕だけじゃなくて、みんなそうなんじゃないかな?

だって障害だもん。簡単には笑えるはずないよね。

僕が出会った障害者の話。

話は変わりまして、あれはたしか大阪に傷心旅行(様々な事情で…)に行ったときのこと。

ついでだからと京都に行って市バス券を500円で買い、バスに乗りながら京都巡りをしていたとき、目の見えない障害を持った方が乗ってきました。

すると近くにいた女性が、席を譲らなきゃと感じて席を立ちました。

で、その姿を見た目の見えない障害を持った方はこういったんです。

障害のある方
あなた、何も言わずに席を立つんじゃないよ!

その女性と目の見えない障害を持った方の2人が、僕の隣でずっと話をしていまして。

障害のある方
障害があるからってね、なんでもかんでも優しくすればいいんじゃないの。別に必要じゃない時もあるんだから。
声くらいかけてよね。
席を譲った女性
すみません、教えてくださってありがとうございました。
お話が聞けてよかったです。

僕も隣で「なるほどなぁ、気をつけよ。」と感じてました。

あそどっくさんとこの話から僕が言いたいことは、障害者にとっては障害だと気を使われることが一番嫌なのかなと。

障害者を見ただけで、普通とは違う判断をすること。

それ自体は正しいことだし素晴らしい判断で、僕たち健常者なら必ずやらなけやいけないことだけれども、そこにある"気遣い"みたいなものは、障害者に伝わらないようにしなくてはいけないなと。

席をゆずるにしても、声をかける。何か困っていたら、声をかけて必要なら助ける。

あそどっくさんの話を聞いて、過去の経験を振り返って、健常者とおなじように障害者に対しても接することが必要だと感じました。

障害者は笑いたくない。でも、あそどっぐさんは笑いたい。

だけども障害を持つあそどっくさんからすると、「どうしても見た目だけで判断される」といいます。

「聴衆はストレッチャーになった僕の姿ばかりが気になるもの。いくら面白いことを言えたとしても届かない。」
障害をあえてネタにするのは、そんな聴衆心理を読み込んだ結果でもある。

2017年1月12日東京新聞 – いのちの響き

障害者がいくら面白いことをいっても笑ってくれないことなんてもうわかってる。

だからこそ、自分の障害を笑いに変えることに意味があるのだと、あそどっくさんは言います。

ただ、自分以外の障害者の障害をネタにすることはない。
「他人のことを言うと悪口になっちゃうから」(中略)
「障害のない人が障害者に持つ違和感を拭うには、違和感の元である障害を積極的に押し出してしまった方が早い。」
2017年1月12日東京新聞 – いのちの響き

僕はあそどっくさんの考えを新聞を通して知ることができたから、もしテレビで見かけたときは思う存分笑いたいと思います。

もちろん他の障害者を笑うことは絶対にないです。そこに理由をつけるとしたら「人間だから」としか言えないね。

だけど、あそどっくさんの場合は"自分の障害を笑いに変える理由"を知ることができたから、たぶん笑う。ライブに行っても笑う。いや笑っちゃうと思う。

まとめ。

今回は親父をきっかけに聞けた話だけど、こういった話題はもっともっとテレビで取り上げるべきじゃないかなぁと。

最近だと、東京オリンピックのパラリンピックのポスターが不適切だって話題になってけど、あれって結局、健常者が文句言ってるだけじゃない。

障害者の人から見たらどうなんだろうねって、ところが全然分からないし、メディアでも取り上げられない。いいよ、健常者が考える障害者の意見なんて。

久々に新聞見たけど、まだこんなに新聞って面白い話題があるんだなぁとちょっと感心した。あとはこれをどう広めるか、若者にもアプローチしていけるかってところなんだけどね。

あそどっくさん、応援していきたいぜ!

テレビで見かけたらめっちゃ笑ったろ!

それじゃーね!