プロフィール。

こんにちは。
人生の目的はオープンな人間関係を構築すること。
宮川 輝です。

気になるところはタップしながら読み進めてくださいな!

名前 宮川 輝(みやがわ あきら)
生年月日 1995年7月31日
年齢 22歳
性別 男性
血液型 B型
身長 173.5cm
体重 53.5kg
足のサイズ 25.5cm
出生地 東京都港区
出身地 千葉県印西市・千葉ニュータウン中央駅周辺
幼稚園 印西しおん幼稚園
小学校 千葉県印西市立内野小学校
中学校 千葉県印西市立原山中学校
高等学校 千葉県立船橋豊富高等学校
最終学歴 日本電子専門学校Webデザイン科・中退
現在の活動 ブログ執筆
Webデザイナー/コーダー
カウンセリング
英語の習得



オープンな人間関係の構築。

オープンなプロフィール。

僕の目的はただ1つ、オープンな人間関係を構築することです。

僕は人ともっと繋がってみたいです。
僕は人ともっと会話がしてみたいです。
僕は国を超えて、世界中の人と繋がってみたいです。

でも嘘を付く人とは繋がりたくありません。
人を傷つける人とも繋がりたくありません。
見栄を張っている人とも繋がりたくありません。

僕が繋がりたいのは、自分をオープンにできる人たちです。

本音を話していきましょう。
素直に意見を述べていきましょう。
自分に正直に生きていきましょう。

そして少しづつ、人々の壁を取り除きながら、よりオープンな人間関係を築いていきましょう。

みんなが自分をオープンにできれば、この世界の問題はすべて解決できるはずだ。

人生の歩み。

幼少期(誕生〜3歳)

1995年の7月31日に東京都の港区で生まれました。父は大阪府、母は山口県出身で、上に7つ歳が離れた姉と1つ年上の姉が1人います。僕はいわゆる“末っ子長男”と呼ばれる位置ですね。

宮川 輝

1歳頃の写真。

泣いている様子

泣いてる(笑)。

小さい頃は年子の姉と一緒にいることが多く女の子によく間違われることが多く、また女兄弟ということもあり家では女装や口紅など女っぽいことをよくさせられていたのでご覧の通り、よく泣いていました(笑)。

末っ子でしかも姉2人に囲まれて育ったので相当甘やかされたと思いますね(笑)。いつも助けて貰いながら育ちました。

そんなまぁ、いたって普通の家庭の中で僕は生まれました。ここからが僕のスタートです。

幼稚園時代(3〜6歳)

子供3人が成長するにつれて部屋が狭くなり、千葉県の印西市で4LDKの居住に引っ越します。そこで近所を走っていた新幹線の形をしたバスに3歳だった僕の心は惹かれ、『印西市しおん幼稚園』に3年間通いました。

新幹線バス

憧れていた新幹線バス。

幼稚園のお遊戯会の様子。

幼稚園のお遊戯会。

お菓子食べたり折り紙や友達と公園で遊びまわったり、畑で作物を育てたり外国人講師の人が来たりと、なかなかいい環境が整っていた幼稚園だった思います。

あとキリスト教との関係がある幼稚園でしたが、僕の家族は宗教とは一切無縁でした。これから先もどこかの宗教に所属するつもりはまったくないのですが、振り返えってみるとこの時期に触れた“見えないものを尊重する”という価値観は、今も僕の中に息づいている気がしています。

初めての共同生活を送る中で悔しい思いもしたはずなのですが、不思議なことに楽しい思い出しかありません。不思議なもんですね、この時期の記憶ってのは。

小学生時代(6〜12歳)

そのまま近くの『千葉県印西市立内野小学校』に6年間通います。この頃は「虫取り」「泥だんご作り」「意味不明な公園遊び」「水泳教室」「サッカークラブ」「生徒会長」「応援団長」…などなど、とにかくアクティブな活動に積極的で人を束ねたり外で遊ぶのが大好きな少年でした。

小学校に入学したときの写真!

小学校に入学したとき。

水泳を頑張った!

水泳を頑張った。

サッカーのキーパー。

キーパーでした。

それと表に立つことが好きで「とりあえずやってみよう!」という姿勢を自然と持っていました。今でも忘れずにいようと思うのですが、やっぱり考えることも大切にしたいので上手くバランスを取っています(笑)。

そして小学校2年生で初めてコンピューターに出会います。最初はキーボードをめちゃくちゃに叩くしか使い道が分からなかったのに、オンラインゲームやインターネットにハマりまくった結果、4年生でブラインドタッチができるほどに成長しました。授業中にキーボードの配置を机に書いていましたね(笑)。

中でも「生徒会長」と「サッカー」はめちゃくちゃ頑張りましたかね。僕にはなんのスキルもなかったですが、まだまだイケイケどんどん、怖いもの知らずでも通用する年代でしたから、なにも考えずに頑張ってました。

しかし、そんな根っからのアクティブ少年だった僕の心に、少しづつインターネットという見えない世界が少しづつ広が始めた時期でもあります。

この時期からパソコンに触れておいて本当に良かったです。でなければ今の僕はありませんからね。

中学生時代(12〜15歳)

そのまま近くの『千葉県印西市立原山中学校』に3年間通います。入学式での「新入生誓いの言葉」が表舞台に立った最初で最後かもしれませんな。

サッカーでめっちゃ日焼けしてる(笑)。

新入生誓いの言葉

新入生誓いの言葉。

そしてみなさんも経験したであろう“思春期”と呼ばれるなんともいえない憂鬱な時期を僕も過ごしましたよ(笑)。小学生とはまったく違う世界の入り口です。

クラブのサッカーでは相変わらずキーパーを続けていましたが、小学生の頃に比べると必然的に“勝ち負け”にこだわるようになり、争いが嫌いな僕の性分に合わなくなって段々とアクティブな活動には楽しみを見出せなくなりました。スタメンも取れなくなってきましたからねぇ。

でもでも、僕にはパソコンがあったのです(笑)。学校が終わるとソッコーで帰宅し、パソコンと向き合いながら友達と遊んだりネットを通して無料のアニメや映画などの様々なコンテンツに触れるのが楽しくて仕方ありませんでした。学校では絶対に教わることのできない世界があることに、この頃から気付いていたのかもしれませんね。

かなり内気な少年になったことでアクティブだった小学生時代とは一変したことによって、周囲とうまく馴染めなくなり1人行動することが多くなりましたが、おかげで自分だけの世界や価値観に没頭できる入り口となりました。

やっぱり先生の言いなりになっちゃダメですよ。中学生になったら音楽の授業が退屈すぎて窓ガラスを割っちゃうぐらい、自分の好きなように生きないと…(笑)。

高校生時代(15〜18歳)

勉強がまったくできなかった僕に選択の余地はなく、家庭的な事情から遠くへ通うのは難しかったものの自転車で通える距離にありパソコン環境が整っていた『千葉県立船橋豊富高等学校』に進学しました。この高校には本当に救われましたね。受験勉強は数えられなくらい…やってません(笑)。

でもでも、もちろん僕にはパソコンがあったのです。学校では決して教えてくれない世界中の様々なコンテンツが僕にとって最高の教材でした。

あと、この時期に母親を亡くします。当時は悲しみよりもよく分からない気持ちで一杯でしたが、僕以外にもおじいちゃんおばあちゃんを亡くした友人のお葬式にも参加したことによって、人の死と向き合い考えるようになった時期でもありました。

またアニメにハマった時期でもありまして、声優を目指して『日本ナレーション演技研究所』に1年間ほど通いました。この時期はとにかく“自分ではない何者か”になろうと必死でしたね。

声優養成所

養成所時代。

しかし、声優になっても幸せになれないと気付いてますます落ち込みました…。楽しくもないのに笑ったり、好きでもない役柄を演じるのは、僕には合わなかったみたいです。

でもでも、おかげで僕に欠けていた“ありのままの自分で人生に取り組むことの大切さ”に気付かされた時期でもあるので、この時期の学びは非常に価値あるものでした。

楽しいことより挫折や失望など辛い経験ばかりの時期でしたがこの時期がなかったら浅はかな人間になっていたと思うと、なんと貴重な時間を過ごしたのかとしみじみ実感するのです。

専門学生時代(18・19歳)

就職するにはスキルが足りずプログラムのスキルを磨きにWebサイトを専門とした『日本電子専門学校Webデザイン科』に通います。

とにかくスキルを身につけるべく授業外活動にも熱心に取り組んだ結果、大会で敢闘賞を取ります。朝7時に家を出て夜12時過ぎに家に帰る日々でしたが、この経験が今の僕を間違いなく支えている言えます。

大会で頑張ってる俺

大会中の様子、かなりやつれてます(笑)。

賞状を取得

敢闘賞受賞!

求めていたレベル以上のスキルを身に付けたのはもちろん、授業外活動を通じて“人間関係”についてたくさんの学びを得ます。そして先輩や後輩や先生や会社の人と付き合うにつれ、僕はいわゆる“普通の人間関係”で生きていくことができないと悟りました。

就職活動でどの会社を訪問しても惹かれどころか「会社で働きたくない」という強い衝動に駆られ2年の前期で卒業することなく中退します。

思春期による煩い、声優養成所での挫折、そして会社という用意されたレールの上に馴染めなかったことで「自分の生き方を貫くしかない。」と決心がついた時期です。

フリーとして(19歳・20歳)

クラウドソーシングやブログ活動を始めて日銭を稼ごうとするもお給料を貰わない立場で生活することの難しさ知りまだまだ自分が未熟であることを実感してビジネスやお金の稼ぎ方など“生き抜くための知恵”を学びまくります。

最後が弾いたギターと一緒。

アートの世界。

デザインの本質を見極める力

デザインの世界。

専門学校で“デザイナー”としてのスキルを磨き声優養成所と音楽教室では“アーティスト”として活動してきた僕にとってはこの対照的な2つのバランスを取ることに悪戦苦闘し鬱のような状態に陥りましたが、それでも自分の為だけに生きる人生も、相手の為だけに生きる人生も絶対に嫌だったので、苦しくてもこの時期に両方の視点を捨てることなく持ち続けたことをとても誇らしく思っています。

“私”が終わる(21歳・22歳)

生き方に悩んでいた僕はスピリチュアルの世界に卒倒し、この1年間はスピリチュアルティーを探求する年となりました。

エックハルト・トール

エックハルト・トールの講演。

new earth

僕の人生を変えた1冊。

カウンセリングの資格

カウンセラーの資格。

ブッタ、イエスキリスト、ラマナ・マハリシ、エックハル・トトール、ムージ、パパジ…数え切れないほどのスピリチュアルな教えに触れたことで“私”が崩壊し、これまでとは違った生き方をするようになります。

この出会いが未来にどう影響するのかは未知数でこの1年間はほとんど停滞していましたが、この学びは将来必ず生かされると確信しているのです。

ありのままに生きる(23歳〜)

そしてようやく、ありのままの自分で生きていくことを決心して、今に至ります。

これから先はどんな人生が待っているかわからないので、最後は僕の大好きな老子のこの言葉で締めくくります。

先を見通す知恵というものは、道にとってのあだ花であって、愚味の始まりである。
そういうわけで、立派な男子は、道に即して純朴なところに身をおき、誠実さが欠けた薄っぺらなところには身をおかない。
道に即して充実したところに身をおき、華やかなあだ花には身をおかない。

だから、あちらの礼や、先を見通す知識を棄てて、こちらの道を取るのだ。
道徳経 – 第三十八章

クリエイターとしてのこだわり。

ゴッホのような作品を。

ファン・ゴッホ

ゴッホは死ぬまでに1枚しか絵が売れなかった貧乏な画家として有名ですが、僕も彼のように「社会の価値基準に惑わされない作品」を作り続ける人物でありたい。

今では150億円の値が付くものまでありますが、これは彼の価値の一部でしかないのです。なぜなら彼の作品は130年前から今もまったく変わらず、そこにあったはずなのだから。

数字や名声がない場所にこそ、本質的な価値を見つけられる人間であり続けたい。

彼が生きていた時代に、たった1枚の絵を買った人物のように。

現在の取り組み。

ものづくりの力を。

クリエイター

もし日本中のみんながクリエイターになったら、この世界をどんなに変えられるだろう。

もし日本人のみんなが、他人の意見を尊重しながら自分の意見も発信できるメンタリティーを身につけたら、この世界の問題をどれほど改善できるだろう。

もしあなたがスマホ以上にパソコンも使いこなせたのなら、どんな情報を集めながら、どんなに素晴らしいコンテンツを世界に発信できるようになるのだろう。

もしあなたがクリエイターを目指したらなら、この世界中の人たちをどれほど豊かにできるのだろう。

苦しみに終わりを。

苦しみの終わり

もし日本人の苦しみがなくなったら、どれだけ他人に優しくなれるだろう。

もし日本人のみんなが他人に優しくなれたら、この世界の問題をどれほど解決できるだろう。

もしあなたが苦しみに終わりを告げたら、他人はどれほどあなたに優しくなるだろう。

あなたが自分も他人も苦しめないのなら、一体この世界の誰を苦しめられるというのだろう。

その他の記事

作業環境。

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