「世界規模の学習危機、それにどう対処すべきか」を観た感想。【TED】

「世界規模の学習危機、それにどう対処すべきか」を観た感想。
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そもそも“学習ができる人”とは、どのような人を指すのだろうか。

僕はいわゆる勉強と呼ばれる“勉めて強いる”ことを、学生時代から好んでやったことは一度もないんだ。だけれども、インターネットが好きだったから自然と色々な知識を身に付けることができた。

だから、教育とは特定の知識を持たせるための仕組みづくりをすることよりも、子供たちに学ぶ場を—学習する場所を—生きる場所を提供してあげることの方が大切だと思っている。

そのための手段として、人間同士のコミュニケーションも忘れちゃならないけども、パソコンやインターネットは大きな役割を担ってくれるのではないだろうか。

 

世界の学習レベルがどのようなものか僕にはまったく分からないけれども、どうしてもこういう問題に目を背けられないんだよね。

今の僕じゃ、どんなに頑張っても砂粒レベルのチカラにしかなれないけれども、こうした事実があることを受け止めながら、自分の活動に少しづつ反映させていけたらと思っているよ。

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通わせる教育から、学ぶ教育へ。

小学生時代から振り返ってみると、僕は学校に好きで通っていたという感覚はあまりないかな。小学校は割とマジメに通ってたけど、中学からは休むことも多くなったし、高校になったら通うのが面倒に感じていたくらいだ。なんせ、僕にはパソコンとインターネットがあったからね。

でも、専門学校だけは違ったんだよね。これは自分の意思で決めたし、親のお金で通わせてもらっているという意識もあったから頑張れたんだ。

だから義務教育においても、「学校に来なさい!」という指導をするのではなくて、「学校に来てもいいよ。」という仕組みづくりをすることがよりよい教育に繋がると僕は思っているんだ。仕組みというよりも、これは指導者の内面状態と言った方が的確かな。

「世界規模の学習危機、それにどう対処すべきか」を観た感想。

どうしても“教員免許”というお堅い名前のついた国家資格で、上から指示された通りの教育をしなくちゃいけないのは分かるんだけど、それだけでは十分じゃないんだよね。たぶん、これは教育する立場にいる人なら誰もが共感するところだと思う。

自分の言葉で伝えてあげたいことがあるのに、教師という立場上、どうしても言えないことがある、みたいな感覚かな。僕はそういうのが好きじゃないから、こうして一匹オオカミになっているんだけれども、決められた枠組みの中にいたらそうした行動は難しいよね。下手したら、自分の立場を失いかねないんだから。

でも、だからこそ気付いた人からやるべきなんだよ。自分の立場を優先するのか、それとも目の前の生徒のためになることを、自分の責任で行動に移すのか。

僕は絶対に後者でありたい。まぁ、今の教育システムじゃ間違いなく退職処分にされるだろうから現職の教師だったら難しいだろうけど(;’∀’)w。

まぁでも、今の時代は小学生もスマホでインターネットに触れているからね。教師だけが子供たちのお手本じゃないから、一人一人が自分の責任でなにか発言したり行動することがもっと気軽になるといいのかもしれないね。

教育の着目点を変えよ。

そういえば、専門学生時代に先生から教育とは“教え、育てる”ことだと教わったけど、僕にとっては“教え、育ってもらう”なんだよね。なんというか、自分の持っている知識を教えて育てようとすることじゃなくて、自分の知識を勝手に使って勝手に育ってもらう、みたいな感覚かな。

「世界規模の学習危機、それにどう対処すべきか」を観た感想。

これはビジネスにも共通しているかな。自分の持っているノウハウを教えて育てることを目的にしたセミナーやサロンや教材はお金を稼ぎやすくて素晴らしいけれども、残念ながら提供する側は相手を“育てる”ことはできないんだよね。教育者の立場として、それらを使って勝手に“育ってもらう”ことしかできないんだ。

残念だけど、教育者の立場でこうした考え方を持っている人は非常に少ない。なぜか。相手に教えようとする方が、教育っぽいし、相手のためになってる感じがするし、なによりお金になるからだ。

でも、それは相手の可能性を潰してしまうことだと僕は思っている。

 

例えばさ、僕の父はよく食べ物をオススメしてくるんだけど、すぐに「これ、美味しいやろ!?!?」って言うんだ(笑)。そうするとさ、僕としては気を使って「おいしい(⌒-⌒)!」って言わざるを得なくなるじゃん。もちろん、これは日常会話だから問題ないんだけどね(笑)。

でも、教育もそんな感じで自分の感覚を相手に伝えるのは大切だけど、教育者側、つまり教える立場にいる人は自分の持っている知識や感覚を正解だと思わせるような教え方をするべきではないんだよ。それでは相手の感覚や考える力を奪ってしまう。

だから俺だったら、なんに対しても「これ、どう思う?」って質問するかな。で、相手が何を答えようと、それが良いとか悪いとかいう解釈をしない。ただ、相手の感じたことを尊重する。相手に考えさせる機会を与えることを第一目的とする。

そうやって、一見すると冷たく見える教育ってのが、実は本当にその人の能力を発揮して成長させる素晴らしい力になると僕は思っているよ。

自分の知識や経験があるからって、相手に上から目線になっているような教育じゃダメだ。教育者の立場に立つ人も、相手から学ぶような意識で臨まなくてはならない。

テクノロジーと教育の在り方。

僕はパソコンとインターネットに育てられてきた意識が強いけど、じゃあ先生たちがいなくても大丈夫だったかと聞かれたら、まったくそうは思わない。昔はそう思っていたけど(笑)。でも、成長するにつれて人間から教わることやコミュニケーションをすることの大切さを実感するね。

「世界規模の学習危機、それにどう対処すべきか」を観た感想。

なんかTEDみたいにさ、1つの話題をみんなでディスカッションできる場があると面白いよね。今って先生が答えを教えてあげるのが“教育”と呼ばれてるけど、先生にだって分からないことがあるわけで、それをあたかも「私は教師。子供たちに知識を教えて育てるのだ!」みたいに振舞う必要はもうないと思うんだ。

つまりはさ、優劣のない教育の場が必要なんだよ。先生だから偉いとか、生徒だから偉くないとか。そういう対等じゃない関係の中で本当の教育は育まれていかないと思うんだよね。

 

学校にもし“TED”という科目があって、僕がその先生になったとしたら、絶対に「これが正解です。」とか「その考えは間違いです。」とかは言わないかな。すべてに対して「どう思う?」と質問して、相手に答えさせる。それから、自分の考えを述べて相手とコミュニケーションをとる。たとえそれが小学1年生が相手だとしても。

テクノロジーが教育の場に本格的に導入されて、先生が教える立場から一緒に学ぶ立場になったとき、ようやく2つのバランスがとれるようになるのかもしれないね。

 

残念だけど、僕には世界の教育についてなにも知らない。だけど構造や環境は違っても、教育に向き合う姿勢はどの国であろうと変わらないはずだろう。

僕はたぶん一生、“教育者”という立場に立つことはないかな。いつでも相手と対等でありたいし、一緒に学んでいきたいと思っているよ。

大人も子供も対等に学んでいくこと、それが一人一人が自分から学習していける、教育の理想とする姿なのかもしれないね。

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