裸と裸と裸。人間の真の姿を映し出した写真家スペンサー・チュニックの魅力。

裸と裸と裸。人間の真の姿を映し出した写真家スペンサー・チュニックの魅力。
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みんな裸が大好きなのに、どうして裸を見せることがタブーになっているのだろうかという疑問は幼稚だろうか。

 

アメリカのYouTuberであるCaseyNeistatがこれまたクレイジーな動画をアップロードした。そこに登場していたある写真家の芸術作品と生き様が、僕の中にある価値観と共鳴したのでこれは記事にしておかなければと思い、下半身がパンツ一丁の状態でパソコンと向き合っているところだ。まぁ寒いから、そろそろズボンを履くよ。

一見すると彼の作品はただ裸の人たちを写真に納めたグラフィカルな表現に見えるのだけれど、しかし芸術作品の本質がわかる人にとって彼の作品にどれだけのメッセージが込められているのかは、きっと説明しなくても体で感じるものがあるはずだ。

しかしスペイン語で投稿された他の動画のコメント欄をGoogle翻訳を使いざっくりと見てみると、ものすごく批評の嵐となっていて驚いた。

芸術作品の価値が分かる人間は、この地球上にいったいまだどれほど生息しているのだろう。

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スペンサー・チュニックとは

アメリカの写真家であるスペンサー・チェニックは大勢の人たちの裸を街中に並べたりして写真を撮ることで有名な芸術家。この文字面だけを眺めていると「ただの変態さんなのかな…」なんて想像してしまうけれど、彼の作品をしっかりと見ればそうでないことがよく分かる。ちなみに、モデルはみんなエキストラたちのようだ。

Instagramに彼の作品が写真としてたくさん並んでいるからぜひ見て欲しい。ブログに載せてもいいのだけれど、裸の写真だからGoogleさんにペナルティーをくらいうかもしれないからリンクだけでも載せておこうと思う。ついでに公式サイトのも載せておくよ。

Instagram

spencer tunick公式サイト

公式サイトのほうには360度カメラで撮影した様子も載せられていて、なかなかリアルな撮影の様子が映し出されていて興味深かった。完成された作品はというのはどれもそうなのだが、作る過程というのはとても地味なものだ。裸でったからなおさらだった。

どうやら過去に逮捕された経歴もあるようなのだが、それでも彼が裸の人たちの写真を撮り続ける理由とは一体なんだろうか。

「人間の真の姿」を映し出す。

彼の作品を一目見た瞬間に、僕は彼の伝えたいメッセージをビンビンに感じることができた。この感覚はうまく言葉で表わせないのだが、それでもあえて言葉にするのなら“人間の真の姿”とでも言えるだろうか。

僕らは洋服を着飾ったり髪型を整えたり宝石などのアクセサリーを身に付けたりと、まぁ社会生活を普通に送るためにあれこれと自分を着飾るわけだが、もともと裸の存在のはずだ。

それなのに、どういう訳か現代社会においてこの解釈は通用しない。あれこれと着飾り自分をより大きく見せる人に、人々は群がりたがる。そして裸でいることを恥だと思ってしまう。まぁ現実との区別をつけるのが難しい若者は特にそうなってしまうのかもしれない。僕もそうだったから。

 

ふつうの“裸の写真”というのはエロい妄想を掻き立てるようなものばかりだが、彼の作品からはそうしたエロさが見当たらない。ヌード写真やポルノグラフィーのそれとも違う。スペイン語のコメントを見ると多くが彼の作品を「ただ裸の写真をとっているだけではないか」だの「下品だ」「恥だ」などといったものばかりで、そうした否定的なコメントに大量のいいねが押されていたのだけれど、彼の作品にそうした言葉を使うのならば、それは大きな間違いであろう。

個でマジマジと凝視するとそこからは確かに人間的な感情—まぁ大体はエロい妄想なのだが—を引き出してしまうが、集団としての裸を見たとき、不思議なことにそこから“エロ”という要素が消えるのだ。

アフリカの民族や今でも古くから地域に深く根付いている部族たちは今でも裸で生活を送っているところがあり、たまにテレビ番組などの取材で僕ら現代人が足を運んで現地の様子を撮影した動画を目にするのだけれど、彼や彼女たちにエロから生まれる“恥じらい”という要素が見受けられないのが不思議だったのだけれど、彼の作品を見てなにか納得するようなものを感じることができた。

彼らが裸でいることになんの抵抗もないのは、きっと自然と調和しているからだ。

 

彼のメイキング映像を見ていると、やはり現代社会で暮らす人間たちは服を脱いだ後にも恥じらいの様子を見せていた。なんせいつも服を着ている街を、何千人もが見ている前で裸になるのだから、まぁ恥ずかしくなるのは当然かもしれない。

しかしその感情がどこから生まれているのかというのを、僕たちはもう一度振り返って考えてみるべきではないのだろうか。つまり、僕たちはもともと裸の存在としてこの世に生まれているはずなのに、ありのままの姿を見せることが“恥”だの“タブー”だのといった見方をされているからだ。

彼の作品を見ていたら「あぁ、僕もヌード写真を撮影して公開してもいいかもな。」なんて気持ちにさせられた。それはなにも自分を大きく見せたいとか、僕の裸を見てほしいとかいう感情ではない。裸を見せることはなにも特別なことではないだろう。それが人間の本来の姿なのだから。

文明を築き上げてきた僕らは確かに優れた知識を身に付け素晴らしい道具を生み出してきたが、それと同時にもっとも根本的である“ありのままの自分”という大切な存在を忘れてきているのではないか。

人間の真の姿—ありのままの姿を映し出した彼の作品は、そんな根本的なメッセージを届けてくれた。

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